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arika

Author:arika
妻鹿有利花 (めが ありか)

日々、派遣社員として働いたり、演出家にどなられたり、、レパートリーの稽古したり、オーディションに受かったり、二日酔いになったり、芝居がうまくいったり、ダイエットに失敗したり、動物の森にはまったり、ワークショップに通ったり、フラダンス踊ったり、している女優です。

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そういえば、すっかり忘れてたけど、掲示板もあります。
ぜひ、告知などに使って下さい。
みんなのありか

㈱出海企画
info@izumikikaku.sakura.ne.jp

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初!!
渋谷・コクーン歌舞伎を観て来ました。
今まで、何で興味なかったんだろうな????

夏のお祭りのようでとても良い雰囲気でした。
だんごや、そうめんをロビーで売っていて、それが場内で食べて飲めて、座布団の席があって…
こうやって、演劇を観たいよなっていうすべての条件がそろっていて、お金がかけてあって、上品で…
とても良い場所でした。

ネタバレ等含みますので、お気をつけ下さると幸いです。

「天日坊」は、俺は誰だあっ!!というひたすら自分のアイデンティティーを探し求める話で、これを歌舞伎役者の方々がやることがとても面白いと私は思ったのでした。
折りしも、市川さんちの襲名披露などがやたらとテレビやニュースでやっていました。

自分の生まれた時の名前があって、その後役者としての名前があって、それがまた変わって…
名前にはアイデンティティーはないのかしら?

私は、坂東八十助さんとお仕事をさせて頂いたことがあって、「やそさん、やそさん!」とずーっとよばせて頂いていたのだけど、彼がある日「三津五郎」さんになってしまった。
とてもおめでたいことなのだろうけど、私はなぜかあのやそさんがいなくなった気がして、なぜかずーっと名前をよぶことができませんでした。
たまに、「やそさんが…」て言うと、違うよ!と窘められたりして(笑)
彼は彼で、まったく何も変わったわけではないだろうに…
いまではすっかり、三津五郎さんになってしまって、今度は「みっちゃん」だったりするのだけど(笑)

ドストエフスキーの「白痴」のフェルディシチェンコの台詞に「フェルディシチェンコなんて名前で生きていけるんですかね」てのがあって、ムイシュキンは無邪気に「どうして生きていけないんですか」と言うのだけど、なんだか私は彼の気持ちがよく分かる気がするのです。
「いったい、妻鹿って名前でどうして生きていけるんですかね」って私はずーっと思っていました。
ほんとに、嫌で嫌でね…

まあ、未だに妻鹿なのでしょうがないっちゃあしょうがないのですが…

これが、山本とか田中って名前だったらどんなによかっただろうか、もっと性格も違っただろうにと私は思う訳です。

今は、「妻鹿」ってよばないでって自己主張もするわけですが(と言っても妻鹿なので妻鹿とよばれるのは仕方がないのでこれがまたジレンマで性格がゆがみますw)

という訳で、私のアイデンティティーに名前は深く関っている気がするのです。

法策は、孤児でそれこそまさに俺は誰だ!って疑問を持ち続けているわけですが、他人に名前をつけてもらいたがっている。
お墨付きをもらいたがっている。
血のつながりはないけど、孫だよ、兄弟だよ、はたまた弟子だよ。
そんなことは、彼のアイデンティティーを満足させてくれない。

出世の糸口と彼は言うのだけど、誰かにちゃんと名前をつけて欲しいと切望しているのだと思う。

何者でもない自分がいやで、自分は自分でありたい。

逆に、私は、何者かである自分が嫌で、何者でもない自分になりたがってるところがあるように思います。

結局は、彼は最後まで俺は誰だ!と言い続けて死ぬわけですが…
でも、みんな、そーなんでしょうね。

誰だ!?
俺だ!
俺が俺だ。お前は誰だ。
俺は、俺だ。

そんな自問自答を繰り返してるのでしょうかねえ。

そんなテーマを役者に、名前をただひたすら受け継いでいく、家をつないでいく彼らに演らせているのが、面白いなあと思いました。

ここんとこ、チェーホフにしろシェークスピアにしろ、歌舞伎にしろ勉強しないで観るなんて観客として怠慢だよな。
本当は、ちゃんと勉強した上で観ないとダメだよなと思ったのでしたが、はっと気が付くとこの作品はまったく勉強していませんでした。
それどころか、私は歌舞伎というものをまったく知らず、歌舞伎役者さんの名前と顔さえまったくわからない。
(巳之助さんが、あんな大人になっていたことに腰を抜かしそうになりました)

それでも、コクーン歌舞伎は私をあっという間に、物語の世界へ連れていってくれてほんとうにすごかった!!
面白い、面白いとつぶやきながらゲラゲラ笑っていたのでした。
トランペットと、衣装が本当にステキで、ああそういえば私は外連味というものがすごく好きなのでした。

まあ、勘九郎さんのかっこいいこと!!
七之助さんの美しいこと!!
(七之助さんは、何もしてない時が素晴らしい! 大げさな事をしない、ただ目を伏せるだけの返事とか…、すごすぎる!!)
本当に、生まれた時からたたきこまれた技術の確かさと、命をかけて舞台に立ってる気迫と、圧倒的なコンプレックス(と私は感じる。絶対にまだまだ勝てないということを知っている人達だからかな。)と、もうこれはね、チケット代なんておしくないよ、まだまだお金だしてもいいよ!と本気で思わされました。
ああ、これにお金を払うのだよ。
ここまでやってはじめて、お客様からお金を頂戴できるのだよと…。

いやあ、ほんとうにとてもとてもいいものを魅せて頂きました。

ぜひ、また観に行きたい!

今年は、歌舞伎をいっぱい観ようと思っているのです。

さあ、私も頑張ろう。

何者でもなく、何者かであるために。
誰かに何者かを決めてもらえるように(笑)

自戒の念をこめてここに記しておこう。


また一年を新に迎える今日の日に。。。


↓演劇って世界を救えると思う。人間を元気にできる。↓




「A Taste of Honey」
無事に終了いたしました。

各方面、本当に感謝感謝、感謝以外の言葉もございません。

今回は、日数もタイトで席数も少なく観に来て欲しいけど難しい!!の方も多く、ご迷惑もおかけしました。
そんな中、ご来場いただいた方々、ご尽力いただいた方々本当にありがとうございました。

戯曲はもとより、衣装が良かっただの、場所が良かっただの色々なお言葉を頂戴いたしました。
中でも、阿見君の音楽最高!!でした。
本当に心が癒される、最初に聞いたときは涙が出ました。
本当にありがとう。

手前味噌ながらスタッフワークも素晴らしく、今回初舞台の面子が多かったにも関らず迅速な動き、効率のよい作業と本当にみごとでした。

そして、そして…

演技…。
正直、まだまだ祈りというには程遠く、私たちが稽古場で見ていたものが本番でお見せできなかったのは非常に残念でした。
だけど、実際に素晴らしい瞬間はあったし、交流がここまでできる集団もそうそうないのではと思いました。
自分も含め、これからの方向性はしっかり見えてきた、そんな公演だったと思います。

自己嫌悪と満足と、喜びと苦しみとそんなごちゃまぜな色んな体験を本当にたくさんさせて頂きました。

そして、やっぱり楽しかった!!!

今回のテーマは、普遍的で「自分の生活のヒントになった」とか「観ていて苦しかった」とか「意味もなく涙が出た」とか色んな御意見を頂きました。
まだ言葉にはならないけど…と。

少しでも、皆様に還元できたことがあれば幸せです。

まだまだ発展途上のPrayers Studioですが、今後ともごひいきにしていただきとうございます。

私的には、まだ今月中は東京ノーヴイ・レパートリーシアターの公演もございます。
引き続き、よろしくお願いいたします。

そして、少しでも時間ができたら、沢山の方と遊びたいと思っておりますので、お気軽に声をかけてくださいませ。
ぱーっと飲もうね~~~~
                    ありか
ずいぶん日記を更新してない…って前回のブログに書いてから、またずいぶん更新してなかった(笑)

twitterの140文字ですませることが多いから。

今、ひたすら稽古をしている。

と言っても、今回は、同じ役にマックス5人いたりするから、自分の回数は割りと少な目でもあったりするのだが。。

昼間は仕事したりしてるので、必然的に夜稽古、最近は「深夜」という稽古時間がある。
ひえ~~~~っ。

しかし、今回の公演は本当に面白い事が多すぎる。

どう考えたって無理な事がすんなり進んでみたり、思いがけないものが手に入ったり。
欲しいと思うと、すぐにもらえるみたい。

夜中、電気ストーブの明かりで稽古してると(暖房がない!)、ほんとうにしみじみ幸せだな~と思う。

自分の経験からひっぱってくるしかないので、自分の今までのつらいことの総決算になる。
浄化ってこういう事なのかと思う。

役と、自分と、相手役と、全部がとけあって濃密な時間が生まれる。
しみじみと美しいなあと思う。

演技が祈りになるなんて、大仰だなって思ってたけど本当に、ああこういう事なんだと思う。

本当に素晴らしい奇跡のような時間がいっぱい生まれている。

そーいえば、この間の稽古場でとった写真に、いっぱいオーブがうつっていた。
こわ~~~~って私が言ってたら、色んな人がいいものなんだよって言ってくれた。
ありがたい。

そして、今回、沢山の方へ観に来てねのご連絡をさせて頂いた。
そしたら、ほんとに沢山の方が楽しみにしてくださって、「いくよ」と言って下さった。
ほんとうに、本当に嬉しい。

来れないよの方も、チケットが売り切れてごめんなさいの方もいらっしゃるのだけど、ひさしぶりに色んなお友達に連絡がついて、近況を教えて頂いたりして、とてもとても優しい気持ちになった。

この作品がなかったら出会えない事がいっぱいあった。

本当に、感謝です。

さあ、後、邪魔してるのは、私の「うまくやりたい」「ほめてもらいたい」という邪悪な気持ち。
これとどう付き合えるのか。
「早く結果を出したい」っていう焦りが今、私をダメにしようとしてる。

焦るな、焦るな私。

さあ、もうすぐ皆様とステキな時間が共有できますよ。

劇場にてお待ちしております。
                       ありか

A Taste of Honey
こういう事を書くと、関係者各位に怒られそうだけど(笑)

ほんとに、ほんとに、久々にこころから面白い芝居を観た
面白い芝居というのは、こころが震える芝居って事。
魂が熱くなる芝居。

「下谷万年町物語」
kara.jpg

他の人の事は知らないけど、私はもう心が震えて、意味もなくせつなくなって、きゃ~~~~ってこころの中でずーっと叫んでました(笑)

やっぱり天才すぎる!!
唐十郎の書く戯曲はなんて美しいんだろう。
なんてせつなくて、優しいんだろう。

あんなにも相手を思いやりつづけてる人ばかり出てくる戯曲を書ける作家は、世界中に唐十郎一人しかいないと思う!

以下、ネタバレ、個人的感想ふくみますのでそのあたりよろしくお願いします(笑)

唐さんの出演日が少ないこともあり、チケット争奪戦をくぐりぬけゲットできた席は、バルコニー。
う~ん、観やすくはあるけど、できればあの水かぶり席に座りたかったっす。
水がかからない場所から、「もっとやれ~~」と思って観てましたが(笑)
西嶋隆弘君が出るのでチケットがとりづらいと聞いてたけど、客席の年齢層は高め。
めずらしくオジサマ率高く、これはやはり状況効果でしょうか???

久々に観た唐さんの勇姿は、やはりすばらしく
「唐さんだけアドリブ?」といつも聞かれてたのを思い出しました(笑)
(最後に歌ってた歌って、「透明人間」(現、「水中花」になってるんだっけ?)の曲だよね。今回のオリジナルなんでしょうか?「下谷万年町物語」の戯曲持ってるかた教えて下さい)

のっけから唐ワールド。
初演を観てないので、何の情報もないまま、ただオカマが死ぬほど出てくるんだってくらい。

もう、最初のミシンのタンゴでこころをつかまれてしまいました。

唐さんの作品の何がすきかって聞かれたらうまく言葉にできないんだけど、なにかしらこころの中の深いところにキューンと作用するのです。
無条件に好きとしか言えないのだけど。。

蜷川さんの演出の好きなところも同じなんだけど、理性に問答無用に訴えかけてくるんだよね。
「王女メディア」とか思い出しただけで泣けてくる。
「蜷川マクベス」の桜とかも。
ああ、日本人でよかった~と思う。

下谷万年町物語も、日本人的というか、ちまちましたちっちゃ世界の中で必死に戦ってるちっぽけな人の話でそれがまたせつなくも嬉しくあるというか…。

今、これを書きながら音版・唐組を聞いてるんだけど「雑巾の歌」というのがあるんですがその歌詞に
「まるで生きた雑巾」というのがある。
もうそれを聞いただけで泣けるというか…
唐さんの言葉のイメージ力は凄まじいと思う。

私が見た事のある唐さんの自筆の戯曲は、大学ノートにびーっしりと細かい字で横書きされていて、一冊のノートに3、4本戯曲が書いてあったと思う。
あの中にどれだけのダイヤモンドがあったかと思うと、鳥肌がたつ。

という訳で、もう溢れる言葉言葉がきらきらしてて、心に染みとおってたまりませんでした。

唐さんの戯曲は難解といわれるけど、実は全部が伏線になってて、最後にぱ~~~~~っと全部がつながって一個の話につながるという、非常にわかりやすい話なんです。
今回も、最初は「え?」「え?」って感じなんだけど、最後にすべてがわかるとぞくぞくしました。

ヒロポン中毒のキティがせつなくて…

しかし、この最後にわかる!っていう為には、本当に役者がちゃんと台詞を伝えてくれないと成立しないわけで…

そういう意味では、この「下谷万年町物語」は素晴らしかった!!!!!

藤原竜也が、もう出てくるだけで「唐十郎」ワールドを体現してて、彼が出てくるだけで舞台の温度が急上昇したと思う。
今日が楽日かと思わせるくらいの熱演ぶりで、あの手を抜かなさといったら、本当に本当に頭が下がる。
もっと楽をして、簡単にやれる方法もあるのだろうに、あえて果敢に苦しい方向へ立ち向かう彼はマゾかしら?
この寒い中、いくらぬるいとは言え水に入ると体も冷えるだろう、声も心配だろう、腰もやばいだろう。
それでも、唐十郎を体現してくれる藤原竜也に心から「ありがとう」と言うしかない。
彼の熱にひっぱられるように西嶋隆弘君も、本当によくやってると思う。(えらそう(笑))
とてもスマートで現代的で、子供子供した唐さんの作品の少年のイメージからするとちょっとクールっぽいなって思ったけど、今の時代にはいいのかもしれない。
彼がいいバランスで過去と今をつないでる気がする。
なんか、最近の役者さんってほんとにうまいよね。
誰も苦労せずに、ナチュラルな演技をするよね。
昔教わった新劇ってなんだったんだろうね…、余談ですが(笑)

「りえさんが良いだろ!!」
って目を輝かせて蜷川さんが言ってたように(竜也と蜷川さんあなたたち二人とも同じ事言ってるよ(笑)。)りえちゃんが、ほんとに良い。
あんなに細っこいのにパワフルで、運動神経抜群で、芝居もうまくて…それなのになぜか幸せそうに見えない(私がそう思ってるだけかもしれないけど)そこがすごい。
ヒロポン中毒で、施設に入れられたキティが本当に信じられた。
明るく笑えば笑うほどせつなくて、涙が出ました。

唐さんの戯曲は、虚実ごちゃまぜというか(どこまで本当なの?と思うこともよくあるが(笑))妄想の世界で、それをどれくらいの力でねじまげて真実にしてしまえるか。
役者の才能は、「信じる力」だと聞いた事がありますが、唐さんが信じた世界を蜷川さんが形にし、その世界に住んでるりえちゃんや西嶋くんや竜也が本気で怒ったり笑ったり泣いたり、苦しんだり喜んだりしてる。
それが強ければ強いほど、観客も真実の世界に連れて行ってもらう事ができる。

ああ、わかった。
唐さんの芝居観てると、頭がからっぽになるんだなあ。
言葉を追うんじゃなくて、役者たちのこころを追うだけなんだなあ。

お尻に花さして踊るらっきょさんとか、「子供には見せられないなあ」と言いながら嬉しそうにオカマやってるみなさんとか、以外にきれいな(失礼)六平さんとか、見所が山のようにあって一度では見切れない。
ああ、もう一回観たいなあ…。

「師匠にあった??」と竜也に言われてじゃあ…っと、何年かぶりに唐さんにお会いさせて頂きました。
蜷川さんとか、アニシモフとか怖いといわれてる演出家は数あれど、私が世界で一番怖いと思ってる演出家は唐さんで、蜷川さんと始めて仕事させてもらったとき「唐とはこんな風に話せないだろ(俺は優しいだろ)?」的な事を言われたのを覚えていますが(笑)
久々にお会いした唐さんは、優しく穏やかでした。

唐さんと同じ楽屋に金さんと六平さんが一緒にいたり、石井さんが唐さんのダブルをやったりと、私的には本当に新春お年玉みたいな嬉しい芝居でした。

ちょっと前だったら文ちゃんを竜也がやったんだろうなあと思うと、ずいぶん年をとったなあと思いました。
本人に言うと「まだ若いんですってば!」って言ってたけど(笑)
私たちにとっても竜也はいつまでも高校生のような気がしてるんだけどね。
そーいえば、私達もずいぶん年をとりましたが…
あまりにも唐さんの世界を具現化してるので「感動したよ!!すごいよ!!」と言うと神妙な顔で「ありがとうございます」って言ってました。
そこが彼のすごいところなんだなあと思います。
「テントに誘われるんじゃない?」と言うと「やりますよ!!」と言ってたので、ぜひテントに出る藤原竜也
が見たいですね!!

蜷川さんにも、「もっと唐さんの作品をいっぱいやってください!!」ってリクエストしてきました。

何よりも、皆が本当に、楽しそうに舞台に立ってるのが良かったですね!

今だったら、もっと唐さんの戯曲を理解できるんだろうなあと思います。
あの頃はちっともわかってなかったし、唐さんのことは怖いし、稽古は嫌だし、本当につらかったなあと思うけど、今思えば素晴らしい世界にいたんだな。
もうすぐ唐組公演があるので、観に行こうと思います。

写真は、「下谷万年町物語」のパンフと、「唐版 風の又三郎」の戯曲。
P1020948.jpg

そうです。
今度は、ぜひ「風の又三郎」をやって頂きたい!!
蜷川さん、ぜひぜひよろしくお願いします。

「下谷万年町物語」の世界を創ってくださった方々すべてに感謝を捧げます。
本当に、ありがとうございました。

↓演劇って世界を救えると思う。人間を元気にできる。↓


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のっけからぎょっとした。。

「おやすみ、かあさん」の幕開きである。

白石加代子さん演じる、セルマに会うのは二度目だ。

「やられた!」と思った。
初演のセルマと今日のセルマは全然違った。
確かに、どっちでも成立する。(もっと成立する母親像はたくさんあるのかもしれない)

どこかで、この間のセルマに違うジェシーをあてはめた舞台を想像していた安易な自分に腹が立つ。
そこが、一流の女優と三文役者の違いだ

初演のセルマは、ふわふわとした一人で生きていくのが苦手~な子供っぽい母親だった。娘の自殺にただひたすらじたばたしている愚かでかわいそうな人に見えた。
今回のセルマは、自分の事が大好きな母親に思えた。(舞台の始まったすぐは。実は違う事がわかってくる)

初演の渡辺えりさんが強烈だったので、中嶋朋子さん演じるジェシーが普通に思えて、この人が自殺するか?この人が癲癇持ちに見えるか?この人にコンプレックスあるか?と違和感があって、最初どうしても話しに入り込めなかった。
言葉の端々が現代風で、加代さん演じるお母さんが舞台の中の人だとすると、中嶋さんは映像の中の人のようで違和感があった。
お互いの熱がうまく伝わりあわないような…

が、途中から、ぐいぐい引き込まれ…

気が付いたら、涙がボロボロでていた。

私もこの戯曲が大好きで、分析をやったこともあるからかもしれないけど…

戯曲のテーマがどんどん明確になって、心にずきーんと入ってきた。

ああ、せつないなあ。

全然似てないのに、セルマが自分の母親に見えてきて、セルマが苦しむ姿がまるで私のせいのように感じる。
実際にあったわけではないのに、そうやって母親が困る姿を見てきたような気がする。

だからといって、私がジェシーの立場かというとそうでもなくて、ママの立場や気持ちもすごくよくわかって、二人の間をいったりきたりしていた。
だから倍泣いたのだと思う(笑)

改めてすごい戯曲だと思う。

これは、あらゆる人にとって痛い戯曲である。

人間は、誰でも一人なのに、なぜかそれを忘れてしまうのだ。
自分って、いったい何なんだろう。
他人に評価してもらうしか価値がないのだろうか人生って。
自分で決める事のできるものが本当に自分の人生で一つでもあるのだろうか。
自分の一番大事な愛している人を、本当に愛してると言えるのか?

普段、絶対に見ないようにしてるけど、ふと見てしまって居心地の悪い事になる場所。
そこに、ジェシーとセルマがいる。
二人ともがいるから、二人ともを好きでわかって、でも闘わないわけにはいかない。
それが生きるって事でもあるから。。。

セルマがついに
「いいわ」
と言った、そのたった一言がすごく怖かった。
ああ、この人すごい…とセルマというか加代さんというか、その女の人を思った。
受け入れた…。

自分のものだと思っていた娘の死を、プライベートなものとして受け入れた。
(最後の最後には抗うのだけど)
そこからの加代さんの中のシーンとした空白が怖ろしかった。

母親は、強いなと思った。

初演の時は、ジェシーの強さに驚いたけど、今回はママの強さに驚いた。
誰よりも孤独で傷ついていたんだと今回の上演ではじめてわかった。

家族や近しい人って、不用意に相手を傷つけてしまって、まったくその事に気付かないことがよくある。
近いからこそ絶対に許せない事とか、深く憎んでしまうこととか。。
「たまたま生まれためぐりあわせ」
とセルマが言うが、ほんとうにそうなのだろうか。
家族ってなんだろう。
ほんのちょっと、運命がかわっていたらどうなるのだろうか。

セルマがあげつらう、「もし」にジェシーは答える、「でも」

最後の最後に二人は共犯になって、そしてジェシーは自分の道を歩み、ママも自分の生活を取り戻す。

一つ、残念だったのは、最後、ママがなべを洗うシーンを切ってあった事。
あの加代さんを見たかったと思う。

ああ、でも泣いてばかりのお芝居じゃなくて、ほんとに不意にぷっと笑ってしまうとこや、ゲラゲラ笑うとこもあって、またそれが後からぐっとせつなくなったりして…

ほんと、面白かったなあ。

終わって、色んな人と話をしたのも面白かった。
色んな見方があって、この芝居だからこそだなと思った。
私には、くっきりと浮き上がって見えたテーマがある人にとっては、まったく感じられなかったそーで、それもまた面白いね。
私が勝手に思ってるだけかもしれないしね。

ほんとに、演劇はあくまでも 「プライベート」 なんだなあと。

↓演劇って素晴らしい。↓


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