『我はゴッホになる!愛を彫った男・棟方志功とその妻―』
を観た。
テレビをつけてみたらやってたので、途中からだったけど、最後まで見てしまった。
(しかもつけたとたん、お笑い芸人オンパレードで、何の番組かと驚いた!)
最近、よく誰かしらの生い立ち的ドラマをやってるけど、なんだかそれが全部、再現VTRに見えてしまう。
知ってるつもりとかなんとかのそんな番組の中で、ちょろっとやってみせるあれね。
「さあ、ここで問題です。
この後、志功は、なんと言ったでしょう!?」とかなる前に流れるV。
なんでだろと思ったら、なんかドラマがやすっちいからでした。
もっと、なんとかできないのだろうか…
演技もお粗末だし、脚本もなんだかなあ…。
お金がないのは、わかるんですけど、もうちょっとなんとかならないんでしょうかねえ…。
あんなセットまるわかりなんて、コントかよ!?
最後に出てきた、本人の写真見たときに、初めて志功を素晴らしいと思いました。
「私の宗教は…私の宗教は…宗教は… 棟方志功です!!!!」
香椎由宇が言った日にゃあ、目が点になって口ぽかーんとなってしまいました。
とんだメロドラマだよ。
事実は小説よりなんじゃらというけど、事実には過程があるのです。
過程をすっ飛ばして結果だけ表現されても、なーんにも伝わらないのだよねえ。
最近のドラマや映画は、過程を丁寧に描いてくれない。。
過程が知りたいのにねえ。。。
「宗教は…宗教は…」の中に彼女の色んな気持ちとか、考えとかそんなものを見たいと思ってしまうのは、理想が高すぎるというものでしょうか?
劇団ひとりは、好きだけど、熱演すればよいものではないと思うので、逆に彼がかわいそうになってしまった。
あ、いけないまた、演技の話になってるよ。。。
昔私は、「演劇界のゴッホになる」とずーっと言っていた女でした。
いやだな。
そんな女。
しかし、その心は、「死んでから認められればいい。人の心に突き刺さるものを作って、それが後世まで残るのなら、この世の中の不遇は甘んじて受けよう」でした。
いや、今はそんなことは思っちゃいないですけど(笑)
芝居なんて、生ものですし~。
でも、まあ、そんな風に思っていたのです。
そしたら、なんと「それって、棟方志功じゃん」と言われそれで、彼を知ったのでした。
正直言って、私は絵を見るセンスがないので、彼の版画が素晴らしいとはとても思えないのです。
ああ、これは好き~と思えるものもあるけど、ドラマ中、藤木君が「これは凄い」と言っていた版画など、私が審査員だったら間違いなく門前払いを食わせることでしょう。
芸術って、なんだべ?
この間、東京ノーヴイ・レパートリーシアターでアニシモフのインタビューを撮ったのだが、その時アニシモフが
「私達の演劇は面白いです。 でも、気晴らしではありません!」
と強く言っていた。
ああ…と深く思ったね。
芸術と気晴らし、娯楽と言ってもいいのかな?の境目がないのだねえ、最近のものには。
気楽な気持ちで観に来て下さい。
敷居が低いですよ。
とはいい感じの言葉だけど、本当はそれじゃあいけないのかもしれないと思いました。
棟方志功は芸術家だったのに、ドラマ化された棟方志功は、たんなる物をつくって気晴らししてる人にしかなってなかったなあ。。
残念だ。
わかる人にだけわかればいいという私の考えは、商業ベースのこの世の中でまったく通用しないものなのかもなあと最近思う。
だとしたら、やはり
『我はゴッホになる!』
としか言うようりほかない気もするのだが…
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