東京ノーヴイ・レパートリーシアターの「ハムレット」は、シェイクスピアと能とギリシャ劇のスタイルを組み合わせて創る!!
それが、わが劇団の演出家の言葉でした。
そうやって生まれた「ハムレット」
そして、初日から、早3ヶ月がたとうとし…
やはり、芝居は同じ状態でキープすることはできません。
まあ、自分が芝居を観に行くときも、なるべく初日近くを観にいくもんなあ。
私は、稽古場からあがってきたばかりの時の作品が好きです。
お客の反応に慣れていないというか、ピュアな硬い感じがするから。
慣れてきて、役者が客の反応を期待するようになったら最悪…。
とおもいつつ、やはり東京ノーヴイ・レパートリーシアターの芝居も稽古からだいぶたつと、姿を変えるようです。
いいように変わればもちろんいいんだけど、それが良くない場合もある。
東京ノーヴイ・レパートリーシアターでは、今までチェーホフをやる事が多かったから、どうしても演じ方がチェーホフ的になる。
より人間らしく、より自然な日常の動きになるのだ。
大事な、「ハムレット」の存在方法である、能のスタイルが失われつつあった。
あった…と過去形で言ってしまうけど、今日はそのあたりを皆ひとりひとりがきちんと守ること、それを大事にしようと決めた。
私も、自然に振舞う事がリアルだと思ってたのかもしれない。
今日は、とにかく、目の前の相手(いなのだけど)を見る事、そして視覚化(自分が見ているイメージ)を伝える事、それだけをシンプルにやると決めた。
そしたら、面白い事があった。
「この病んだ心は、罪びとの証」というセリフがあるのだけど、どうしてもここの具体的な視覚化がみつからず悶々としてたのだけど、今日ふと、本番前に、「これかなあ」と思うものがあった。
もともと、そのシーンは、リアルに信じられるシーンではあるのだけど、そのモノローグになるといつもドキマギしてしまうのだ。
でも、今日はその視覚化があったからだと思うのだけど、急にキューっと自分の視界がせばまって、自分がぐーっと後ろに下がって、自分の体の中にすっぽり四角に自分が納まった気がした。
そして、考えがものすごく鮮明に出てきて、自分の声とは思えない声で、勝手にしゃべってた。
今まで見えていた、お客さんがまったく見えなくなって、白い部屋に自分だけがいるような感じ。
そのシーンが終わってから、「あれ、今、キャラクターはずれちゃったかも?」と思ったのだけど、後からお客さんに意見を聞いたら、
「(ガートルードは)聡明な人だと思った。あの時代だから、普段はああいうキャラクターをつけて生きていなきゃいけないけど、本当は一人になるとそういう人なんだと思った」と。
他人に見せてる自分と、一人のときの自分、そういう風に見えたらしい。
面白いな。
そして、今日は全体のできもとてもよかったらしい。
(自分達はよくわからない)
不思議なもので、かなり間をとってゆっくりやっていたつもりでも、今までの中で一番上演時間が短かったそうだ。
また、能のスタイルをちゃんと取り戻せたらしい。
よかったよかった。
南無阿弥陀仏という言葉がある。
南無というのは、「自分をすべてささげます」という意味だそーだ。
あなたに帰依します、すべてお任せします、だからよろしくね阿弥陀様という意味なんだって。
今の私にとっては
南無「ハムレット」様
私の人生の経験、思い出したくないこと、つらい事、すべてささげます。
だから、よろしくねって感じです(笑)
アニシモフが、繊細じゃないとできないと言っていたらしけど、その意味がなんとなくわかった。
日常じゃ、まったく何とも思わないような事でも、相手の言った一言でも、息1つでも、舞台の上では無駄にする事なく感じとらなければいけない。
そして、それに感応する。
だから、舞台の上では何かがおきる。
何も起きないのは、自分の心が眠っているからだ。
こりゃあ、普通の日常生活送れないよな(笑)
言いたくないけど、テレビやインターネットは、やっぱり人間をダメにしてるよね。
すごいニュースだって、嫌な出来事だって、普通に流れっぱなしで、それに慣れちゃってるもんね。
というか慣れないと生きていけないんでしょ。
繊細な人間が生き難い世の中だ。
まあ、今まで何事もなく生きてこれた私は、繊細のせの字もない人間なので、せめて舞台の上ではそうあらねばと肝に銘じておこう。
次回、「ハムレット」 3/20 19:00
今度は何が起きるかな。
結果を期待せず、流れに身を任せ、ただ祈ろう 「南無はむれっと様」
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