舞台を観た。
ホロコーストを生き残った母ゼルマが ピアノを奏で 語る 詩と私、そして死。
そんな舞台。
困るよな、こんな舞台、ヘタにつまらないと言えなくて(笑)
かなりの前評判で、どうしても観たいと無理を承知でお願いして、チケットを取ってもらった。
101席しかない、当日券なし、一人1枚しか買えない。
そんな風に言われて、とてもとても期待が高まる。
そして当日…
雨の劇場に行くと、受付は真っ暗。
暗幕が張り巡らされ、外光は一切入らない。
蝋燭の明かりだけ。
ロビーも、蝋燭があちこちに灯され、ところどころに、写真や小物が飾られている。
とても素敵。
いつものシアター×のロビーとは雰囲気が全然違う。
写真は、古びた家族写真、そしてホロコーストの写真。
そこで私は初めて気付いた、あ、これホロコーストの話なの?
あらすじ知らなかったんですね(笑)
お盆にお酒を載せて、スタッフが回ってくる。
お客の年齢層も高い。
自由人的、インテリ層。
本日、自由席。
チケットの番号順に入場と聞いていたけど、いつの間にか開けられた扉から次々に人が入っていく。
広いシアター×の劇場内を幕で仕切ったその奥。
お香の臭いが立ち込めている。
老婦人が一人ピアノを弾いて歌っている。
その回りにぐるっと椅子。
そこに観客は座るらしい。
そして、芝居が始まる。
面白い事に、今までピアノを弾いてただ歌っているときから、芝居に入りますよという時に、その老婦人の顔が変わった。
はい、お芝居ですここらかという顔になった。
そんな芝居は好きではない。
以下、ネタバレ、個人的感想かなり含みます。日本人って、誇りをなくしたんじゃないかと思うくらい、不愉快な内容だった。
私にはね。
でも、ゲラゲラ笑っている人もいっぱいいたから、面白いのかもしれない。
魂を癒す芝居があるのだとしたら、魂をひっかく芝居もあるのかもしれない。
私が、学生の頃にいたずらで書いていた戯曲はこんな感じだったかもしれない。
相手を挑発して、刺激して何かを感じさせようとする芝居。
今となっては、そんなものなんの価値もないと私は思ってしまったけど、それでも作用するのかもしれない、頭で芝居を観る人にとっては。
すべて、意味、意味、意味。
意味を考えたら、否定できないし、なるほどと思うかもしれないけど、感覚として、感情として何も伝わってこない。
それは、戯曲というよりも役者のせい。
役者が、本気でそこでその感情を感じていなければ、何も伝わらない。
もちろん、意味を理解しようとすればそれは伝わるのかもしれないけど、何度も書いてるように、意味じゃ、人の心は動かない。
セリフを聞いて泣いてる人がいたけど、その人はその意味を理解しようとして、理解してますよという表現をしているのだと見て感じた。
もっと何かあるのかも、もっと何かあるのかも…
そう思ってみてたけど、意味以外のものは何もなく…
不快。。。
不快な感情にさせる事こそ、この芝居の目的なんだろうと思う。
観客に高名な詩人の方がいらっしゃったけど、ずーっと怒ってらした。
繊細な神経の方には耐えられないだろう侮辱。
「坊やが眠っています。
坊やを起さないように、拍手はなさらないで、静かにお帰り下さい。」
(正しくないかもだけど、まあこんなセリフ)
で終わるのだけど、坊やがまったく眠ってなくて、その役者自身が観客を観察してる姿には、本気で腹がたった。
かれは、
「日本人の女の人は、子供を産む機会だってママが言ってたよ。結婚して」
というセリフを観客に向かっていうのだが、そのセリフさえも、まったく無邪気さも役としてでもなく言うので、本気で腹がたった。
外国の公演が来日するのを観るたび、失望するのだけど、日本の文化は低いと思ってなめられてるんじゃないかと思う時がある。
世界各国で評判というのに、ちっともよくないから。
役者の質を下げて、来日してるとしか思えないのだ。
同じセリフを言っても、同じ演出家の作品でも、役者の質でまったく違うものになってしまうのだから。
もしも…と思う。
今日の芝居をまったく違う役者の質で観てみたら。。。
もう少し、魂にずしんとくる芝居だったのかもしれないと思う。
「すべてイスラエル人がつくったのに、世界中の人がそれを盗った」と母親はピアノを弾きながら言う。
「でも私は、その人の事を愛してます」
これを心から言われたら、泣いてしまうと思う。
言葉だけ聞いたら、むかつくでしょ?
作品が伝えようとしてる意味と逆のものを観客は受け取りましたよ。
まあ、もちろん意味だけを考えてる人にはそのように伝わったかもしれないけどね。
少なくとも私は、怒って帰りました。
言葉は意味をなさない。
心だけが、伝える事ができるのだと本当に、そう思う。
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テーマ : こんなの観ました! - ジャンル : 日記
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