劇団の男子に勧められて読んだ本。
栗城史多は、若干27歳にして、単独・無酸素エベレスト登山に挑戦した人だ。
NHKでも、特集をやってた。
彼は、山の上から、インターネット放送をやってて、カラオケを歌ってみせたりしている。
それを見た時、実は、「何かちゃらちゃらした奴だな~」なんて思っていたのだ。
しかし、リアルタイムで映像を流すってことは、すべてをさらけ出すって事で。。。
頑張ってる姿だけでなく、へこたれたとこも、失敗しちゃったとこも泣き虫のとこも、すべてをさらけ出した彼の姿に、雄雄しさに感動した。
言葉にできない熱い思い。
彼だけでなく、彼とつながってる全ての人の思い。
じんわりと涙が出た。
人は、一人では生きていけないのだと思う。
そんな彼の本に紹介してあった本。
エベレストで12人の登山者が遭難死した。
その中には、素人同然の人もいたけど、一流のプロの登山家もいた。
著者のジョン・クラカワー氏は、そのグループに同行していた一人で、彼がこの本を出す事に、賛成もあったかもしれないが、批判もかなりあったという。
遺族の気持ちを考えたら、当然ではあるだろうけど、なんだか私はこの本を読んでとてもよかったと思う。
トムラウシ山での遭難の記憶も新しいけど、普通に生活していたら死はとても遠く感じる。
人間の想像力には、限界があって、自分の体験したことでないとどうもリアルに考えることができない。
自然は厳しいって言葉にすると簡単だけど、その厳しさを理解できるのは、本当に命ギリギリの思いをした時だけなのかもしれないと思う。
去年、私は富士山に登った。
事前の下調べも充分、装備も完璧!と思っていただけど、帰ってきて初めて本当に皆が心配していてくれたことを知った。
「素人だけで山に登る」(しかも富士山!)危険。
私の想像力はその程度だ。
頂上まであと少し、あと何メートルか。
そんな時、引き返すのは難しい。
それよりも、命を懸けてもいいと決断するほうが楽なのだそうだ。
その気持ちはわかるような気がする。
遭難死をした方々はかわいそうだけど、それよりも、こんな事故にあって、ぎりぎり生き残って凍傷で腕や足を失って、それでも生きていかなければならないとしたら、その方がどんなにつらいだろうと思う。
それでも、生き残ったのには、きっと意味があるんだろうと思う。
ある医師の方が
「手術が成功するか失敗するかは、神様が決めることで、自分はただ手を貸しているにしかすぎない」
とおっしゃっていたが、登山もそんな気がする。
山に登れるのか登れないのかは、神様が決めること。
ただ、そこに向かって頑張ってひたすら歩んでいくだけ。
だから、山は楽しい。
私は、初心者へっぽこ山登りだけど、それでも何か自分の力だけでないものを感じて、ただ無心になれるのが気持ちよくて、だから山に登るのかなと思う。
ふっと、下から大きな力で持ち上げられてるのを感じる瞬間がある。
それが楽しい。
「空へ」
を読んで、私もエベレストに登りたくて、登りたくてしょうがなくなってしまった。
アホかと自分でも思うけど(笑)
自分の技量も体力も知ってるから、そんな無謀な事はしないけど(多分しないと思うけど)でも、憧れてやまない。
だとしたら、別にそこで死のうと生きようとあんまり関係ないなと思ってしまう。
もちろん、私は普段死ぬのが怖いし、生への執着は普通の人以上にあるんじゃないかと思うけど。
それでも、そんな事関係ないと思えるくらい、山は魅力的で、だから怖い。
遭難のニュースを見ると、皆
「なんで、そんな危ないところに行くのかね!!」なんて怒るけど、
私は、「さ~?」って曖昧に笑ってみせるしかない。
理由はわからないけど、登ってしまうんだよね、
「そこに山があるから」
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