mixiに、『「身毒丸 復活」は復活したのか?』なんてご大層に名うって、文章をつらつらと書いてみたが。。。
そこから、もう一歩進んで。。。
藤原竜也という人は、(私が見る限りにおいて)本番前、誰よりも緊張している人のように思う。
あんなに、本番に入ってからもそででギリギリまで台詞をつぶやいている役者もめずらしく思う。
とても、不安なんだろうなという印象。
それが、ひとたび舞台にあがった瞬間、まったくの迷いがなくなる。
身毒丸そのものになってしまう。
それは、彼が舞台に立った瞬間に、自分自身すべてをささげてしまうからなのではないか。
ただ、インスピレーションにしたがって、演じているように見える。
それを私は、観客の為にすべてをささげていると言い、ある人は、神と仕事をしていると言った。
まあ、どちらも同じような意味で、彼自身のエゴとか欲とか、そういうものがまったくなくなるのだ。
役者が舞台の上で、自分を(自我、もしくはエゴ?)を捨てられないのは、しょうがない事だよといいたくなるくらい、役者というのはそういう人種だと私は思っているのだが、彼はそれをいとも簡単に手放してしまうように見える。
いとも簡単にというのは、結果そう見えてるだけで、本番前の彼のあの緊張はだからこその苦しみなんではないかとも想像できるのだけど。。。
その初歩の初歩ができない限り、役者が、舞台の上で役そのものとして存在する事はできないし、ましてや、インスピレーションなんておりてこないものだ。
彼が、神(という言い方が違うとしたら、宇宙とか、愛とか、言葉にすると陳腐になってしまうだろう、大きなエネルギー)とつながれるのは、彼が天才だからではなくて、とても努力家だからに違いない。
まあ、それを天才というのだろうさ。
でないと、彼から感じる壮大なエネルギーに理由がつかない。
で、白石加代子さんという人は、私はとても勇気のある人なんではないかと思う。
そしてものすごく頭がいい。
アニシモフというロシア人の演出家に私が学んだ事で、「舞台の上で本当に考える」という事があるのだが、彼女はそれができる人、というかそれしかしない人だ。
(稽古ではいっぱい考えて、舞台のそででも考えるけど、舞台の上で台詞を言う時に物を考えている役者というのは、本当に少ないよ、そういう目で見てみると。)
そして、次に大事なのが、「判断」で、判断がないと感情は生れないとアニシモフは言う。
加代さんは、ひとつひとつに全部判断を下している。
それが、毎日、毎回、毎シーン、違った考え、判断をもっているのだ。
そして、それは、本当に舞台の上でその瞬間に生れてくるのだ。
舞台の上で、考えが生れる瞬間が一番面白いとアニシモフはよく言うが、ああ、こういう事なんだなとはじめてわかった。
天才寺山修司と、天才岸田理生の素晴らしい台詞に、何百通り、何千通りの意味を与えられる人。
舞台の上で、毎回それをやる勇気と、直観力と、包容力と根気と、努力と…ああ、やっぱりこの人も天才なのだなあ。
そして、他の役者達。
みんな、自信があるのだと思う。
またアニシモフの事になってしまうが、自分の役をすべて埋めろと言われる。
そのために、東京ノーヴイ・レパートリーシアターは、レパートリーを続けている訳で、それだけ役をうめるのには時間がかかるのだ。
台詞がある役もない役も、皆自分の役の事は、誰もよりもよく知っている。
「役者は役の作者なのだ、演出家よりも役の事をしってなければいけない」(byアニシモフ。またかよ)
長年、やってきた自分の役を、私達は誰よりも知っていて、どういう事なのか全部説明できる。
そして、舞台にたった時には、それをぜーんぶ忘れている。
ただ、竜也と、加代さんと他の役者達と舞台の上で生きる事だけに集中している。
そうすると、インスピレーションが生れる。
自分では考えもつかなかった事を思いついたりする。
そしてまた、それが自分の役の貯金になる。
今日の自分は、明日、また新たに追加されて、浄化されて生まれ変わる。
なーんてね、そんな風な事がおきてるのかなあなんて思いました。
だって、それ以外に、これだけ毎回稽古見て、本番中そでから見て、それでもまた見たくなる芝居の意味がわからないから。
ひきつけられる。
人間だけの力じゃないよなって思う。
色んな人がこのブログを読んでくださっているようなので、申し訳ないが、たまにはこんな役者の徒然も書いてみたくなる有利花でした。
長くてごめんね。。
お休みなさい

以下、mixiの日記より~
身毒丸の魅力は、なんといっても、同じ芝居は二度とないって事なんじゃないかと思う。
できが良いとか悪いとかの違いはあれど、芝居なんて何度観ても同じでしょ?
毎回同じ台詞だし、内容だし。
一回見ればじゅ~ぶん。
なーんて思ってるあ・な・た
一個の台詞には、何億通りもの考えや意味があり、それを毎回変えることのできる役者がいるんですよ~。
繰り返しは、腐って行く事だとアニシモフも言ってましたが、身毒丸の舞台に繰り返しはないと誓って言える。
私が一番つまらないと思う芝居は、今ここに私がいなくても同じ事するんでしょ?と思える芝居。
今日ここに私という観客がいて、今この瞬間この役者が台詞を言って、それを今この瞬間、本気で相手役が聞いている。
それを、今の瞬間だけしか見ることができない。
毎回、毎瞬間、生まれ出るもの。
これが、本当の舞台だと思う。
だからこそ、生で舞台をやるのだと思う。
毎回、稽古もいれて、本番もいれて、一度として同じ芝居がない。
これは、現代の演劇界において、しかも商業演劇において、すごい事だと私は言い切るよ。
うーん、うまく言葉にはできないけど…
一回、観てもらえたらわかると思うなあ。
ぜひ、ぜひ観て下さい
身毒丸 復活なんてタイトルついてるけど、復活どころじゃなくて、新たに生まれ続けてるんです
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テーマ : 書いとこ~♪_Ф(・。・ ) - ジャンル : 日記
光さま
コメント、ありがとうございました。
思いつくまま書いてから、ちょっと独りよがりで恥ずかしいななんて思っておりました。
共感していただけたり、もっと素晴らしいことに気付かせて頂いたり、本当にありがとうございます。
これからも、思いつくまま書いていこうと思いますので、お目汚し、お許し下さいませ。
身毒丸復活が、これからどう発展していくのか、どうぞ暖かく見守って下さい。
よろしくお願いします。