身毒丸が終わって、早(なのか?)1週間がたちました。
身毒丸中はお休みしていた東
京ノーヴイ・レパートリーシアターに復活。
この間「かもめ」の稽古がありました。
稽古前って、ほんとに憂鬱になる。
私、芝居って本とは大嫌いなんじゃないだろうかと思うくらい

なんでだろ。って考える。
うまくやりたい、褒められたい、恥かきたくない、多分そんな気持ちがあるからだと分析する。
演出家というものは(私がつきあった事のある演出家に限る)皆、すごく怒る。
鬼のように怒る。
怖い…だから、怒られたくない。
そんな気持ちがぐるぐるして、だから稽古場にいく足が重くなる。
「かもめ」のニーナの台詞にこんなのがある。
「作家とか、女優とか幸福な身分になれるものなら、身近な人に憎まれても、暮らしに困っても、幻滅しても我慢しますわ。
屋根裏住まいをして、黒パンばかりかじって、自分に対する不満やまだまだ至らないという意識に悩まされたってかまわない。」
その後は、彼女がじゃあ、だったら何を要求するかについての台詞になるのだけど。
チェーホフってすごいなあと思う。
女優になれるなら、自分の才能のなさに悩んだってそれさえ幸福だとニーナに言わせたよ。
そんな覚悟をして役者になった人なんているまい。
役者やってる一番の苦しみは、貧乏ではないのだよ。
自分に対する不満や至らなさ。
才能のない自分に対する絶望なのだよ。
それに気付いた時、トレープレフは死んでしまい、ニーナは生きていくのだが、何がそうさせるのかという事なのだ。
という訳で、私はまだまだ稽古に行ってしまうのです(笑)
才能というのは、きっとどんな職業にも必要なものなのだろうと思う。
続ける事が才能だとある人はいいました。
東京ノーヴイ・レパートリーシアターは、ひたすら同じ演目を上演し続けていく劇団です。
昨日より今日、今日より明日。
続ける事によって、少しずつだけど確実に変わっていく。
ワンシーズン事に最後の日はくるけど、新たなシーズンがくるとその作品をまた同じキャストでやる。
同じキャストで同じ演目だけど、同じできの日はまったくない。
私が初日をふんだ日から、毎回観てくれてる人がいるのだけど、どんどん変わっていってる。
そして変わっていってる事が面白くて、今日はどうなるだろうと思うとまた観ずにはいられなくなるそうです。
だから、毎回見てしまうんだって。
だって、1回やるたびごとに死ぬほど落ち込んで、また復活して新しくその役の人生を生き直してるんだからね。
どうやって復活しているのかってとこが、その役者の個性なんでしょうが。
私の役は、息子が自殺してしまう役なんだが(これってネタバレ?いいよね、古典だから皆しってるでしょうという事で…)
なんで、毎回毎回、息子が自殺してしまう結果を選んだ人生を送らなければいけないんだろうって思ったのね。
毎回、いきなおしてるんだとしたら。
そしたらある人が「それでも、それがどうしてもやりたい生き方だったんだよ。それだけ強い気持ちで彼女は自分の人生を選んで生きてるんだよ」と。
私も、今の自分の人生、きっと生まれ変わってもそうするかもしれないな。
生き続けていく為に必要な事。
それって何なんでしょう。
言葉にすると陳腐すぎて…
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テーマ : つぶやき - ジャンル : 日記
身毒丸の毒は栄養になって、身体をまわってます(笑)
強いのかなあ。
なんか、こんな役をやるのには使命があるとしか思えない日もあります(笑)