また芝居の話かよ!って思われるでしょうが…
それしか話題のないやつでごめんなさい

またしても「どん底で」の話です。
23日の朝日新聞に「ゴーリキーの戯曲に復活の気配」と題して記事が載りました。
(東京ノーヴイ・レパートリーシアターの『どん底で』も紹介してあります)
http://tokyonovyi.blog76.fc2.com/blog-entry-196.html最近、確かに古典の上演増えたよねえ。
最近日本で(古典戯曲の)上演が目立つのは、新劇・小劇場・商業演劇などが多極分散する演劇界の現状が一因とみる。
「大きな柱が見えなくなって、もう一度、『どん底』のような原点の作品に戻ろうとしているのでは」(堀江新二教授)」
と書いてあったけど、私が思うに、そろそろ皆人間の本質を見つめようよ!って気持ちになっているからなんじゃないかと思う。
皆で1個のテーマについて語ろうよって。
古典戯曲が今日まで残ってるのは、それに他ならないから。
地球人全員で、今こそ真剣に「人類」の問題を考えよう。
アニシモフにいつこも言われることで、なかなか舞台で出来ない事。
それはまさに言葉で語るんじゃなくて、考えを伝えあう事。
理論じゃ相手を説得できない。
言葉にするとどんどんすれ違うから、感じようよ、伝え合おうよ、共有しようよって事。
知恵は生活を発達させてくれたかもしれないけど、本当ってことを隠してしまったように思う。
言葉で説明できない、嫌な事、好きな事、大切な事。
私達は学校教育で正しいことばかり教わってきた。
正しいことが何なのかは知らないくせに。
「正しくあろうとすること」が大事で、本当は何が大切なのかは知らないままだった。
そろそろ、言葉で考えるの、やめない???
言葉で聞くから答えがないんだよ。
「なんで人を殺しちゃいけないんですか?」って
演劇は、台詞を伝えるものではなくて、考えを、感情を、気持ちを、目に見えない何かを感じてもらうために存在している。
そこでただ一生懸命に生活してる人々を観て、自分がどう思うか、どうしたいか。
うちの演出家のアニシモフは言いました。
「真実の国はあるんでしょうか。「どん底で」の人物達は真実の国を見つけられるんでしょうか」
ルカーの真実の話を聞いたペーペルは言います。
「なんだよ、暗れー話だなあ。」
朝日新聞には、
「安保闘争や全共闘運動の敗北まで人は変革を信じた。
そんな時代の『どん底』は、希望の実現に共感が集まった。」
だけど、
「ゴーリキーの時代からみて未来になった現代も、社会は変わっていない。」
だから
今の「どん底」の上演は「今の時代を逆照射してゴーリキーを批判的に読み直している」
のではないかと書いてある。
けど…
批判してなんになる?
どうして、希望の実現を目指してはいけないのだ?
希望ってなんだ?
今日の「どん底で」の稽古で、明確にラストが変わった。
そこに答えがあった。
東京ノーヴイ・レパートリーシアターの「どん底で」は、上演する意味のあるっていうか、今上演しなきゃいけない作品になってしまった

責任…重いです…
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私も、スクラップしました。
おそろいですね(笑)